80年後に返ってきた亡き祖父の国旗

  • 2025-05-30
  • 2025-12-12
  • 家族
はの
みなさん、こんにちは!
ラスベガスの「はの」です。

日本に一時帰省して、ラスベガスに戻ってきました。

帰ってきてからの2週間は、時差ぼけでいつもの仕事をこなすのがやっとでしたが、その後体調も良くなり、携帯で撮った写真の整理をしながら楽しかった日本の出来事を一つ一つ思い出しています。

(飛行機から見えたラスベガス周辺の風景)

今回は、考え深いものとなった出来事がありました。それは戦争に行った祖父が持っていた日本の国旗が80年振りに返ってきたことです。

(東京駅)

実は帰省する1か月前に実家の母から、

「そういえば、OO叔父ちゃん(母の兄)の家にアメリカの団体の方から連絡があって、父が戦争に行った時に、家族や近所の人が日本の国旗に書いた寄せ書きが戻ってきたみたい。今度みんなで会う時にそれを持ってくるそうなので、子供達と一緒に見ようって話しになっとるよ。」

という話を聞き、

「叔父ちゃんがみんなに見せたいものって何だろう?国旗に寄せ書きが書かれてあるものは、平和記念館では見たことがあるけど、それがなんで今送られてくるの?」

と、不思議に思っていました。

(しらさぎ夫婦が佇む福岡の川)

そして5月上旬、福岡市の博多駅近くにあるレストランで、親戚の集まりが行われました。

(2025年福岡市に新しくできたワンビル)

久し振りに会う家族や親戚、初めて会う赤ちゃん、みんなでワイワイと話していると、叔父ちゃんがアメリカから送られてきたみんなに見せたかったものを広げ始めました。

(お名前が書かれてある所は加工して伏せています)

そこには、大切に保管されていた日本の国旗、アメリカ・オレゴン州にある団体の方からのメッセージ、この旗をどのような経緯で戦地からアメリカへ持って帰ってきたのか等、保管されていたご家族からのメッセージが入っていました。

旗を見ると、私が生まれる以前に他界した祖父へのメッセージ、家族の名前、友達からの激励の言葉。

続けて叔父さんが話始めます。

「OOという名前は、父の母の名前で、自分にとってはお婆さんに当たる人だよ。その横には家族みんなの名前が書かれてある。こっちに書かれてあるのは恐らく学生時代の友人かな?」

と、みんなで一つ一つの名前やメッセージを確かめるようにのぞき込みます。

しばらく見ていると、「寄せ書き」というのは、卒業式や退職をされる方に書いた覚えはあるけど、出陣する人に送る寄せ書きとは、みんなはこれをどんな気持ちで書いていたんだろう?そして、祖父は、どんな気持ちでこれを受け取ったのだろう、、、

と、なんだかそんな気持ちに。

叔父さんがこう続けます。

「うちの父親は戦争からは帰ってきたけど、日本へ帰ってこれなかった方々も沢山いらっしゃるので、80年後に父親の国旗が返ってきて嬉しいという感情よりも、OO叔父ちゃんはちょっと複雑な思いがあるよ。」

と、その場にいた両親、叔母さん、兄からは

「複雑な思いがあるのは、家族の正直な気持ちだけど、アメリカでこの国旗を大切に保管して下さった方がいて、それを家族の元に届けたいという思いを持った方々がいて、この国旗に書かれていた苗字から叔父さんを探して下さった方々がいたからこそ、今ここに寄せ書きが返ってきたんよね。

出陣した時は、家族や親戚、友達、近所の方々に送り出されて、国の為に命を懸けて行ったということは、この旗を通じて子供達や孫に伝えることができるし、何か意味のあることだと思うよ。」

と、それぞれの思いを話しました。

(美しい福岡の風景)

その後、日本からアメリカへ帰ってくる途中の羽田空港で、みんなの輪の中にいたアメリカ人の夫とこんな話をしました。

はの
祖父の国旗についてだけど、会ったことのない祖父の国旗が80年後に返ってきて、そこには親戚一同の名前が書かれてあり、それを偶然にも戦地からに持ち帰ったアメリカの軍人さんがいて、これまで大切に保管して下さり、それを家族の元に届けたいと思いを持った人がいて、それを繋げる団体の方々がオレゴン州にいて、、、これは奇跡としか言い表せないんだけど、アメリカ人として、この返還についてはどう思った?

と、尋ねると

「これは奇跡だと感じたよ。戦争は誰もがよくないコトだと分かっていても、人間は愚かだから奪い合いは今も昔も変わっておらず、だから相手国の人々を恨むのかというとそれも違うと思う。

これまでアメリカのテレビやネットで、戦争へ行った軍人さんが相手国の遺品を持ち帰るような話は知ってはいたけど、まさか義理のお爺さんの国旗がこのような形で返ってきて、それを家族のみんなと共有できたという事は奇跡しか言いようがないし、これはお爺さんからのメッセージなのかもしれないね。何か理由があってのことじゃないかな?」

そんな返事が返ってきました。

戦後80年の時を超えてこの旗が私たち家族の元に戻り、そこに書かれた寄せ書きを前にみんながそれぞれの思いを共有し、今の私にできることは何だろう、、、と、祖父からのメッセージのように感じました。

叔父さんは、祖父が生まれ育った街である長崎にこの国旗を寄贈しようと話を進めているようです。

(オレゴン州の美しいMt. Hood)

そんなコトを今思い出していると、ふとオレゴン州のSeaside Beachにあった看板を思い出しました。

(Seaside Beachの海岸)

オレゴン州ポートランドから車で1時間30分行った所にあるSeaside Beachには、シーサイドプロムナードといって歩道が整備されていて、街の歴史を紹介する看板を発見。

(Seaside Beach)

その中に、この海岸沿いに住んでいた方々は、第2次世界大戦中に海から攻めてくる日本軍に見つからないように、日が落ちると電気の灯りを消して、ひっそりと怯えて過ごしていたと書かれていました。

オレゴン州の観光地にもこのような歴史があったことを初めて知りました。

そんなオレゴン州から送られてきた国旗とお手紙、、、。

最後になりますが、戦地からアメリカに持ち帰られた旗などの遺霊品を、日本のご家族へ返還する活動をされていらっしゃる、オレゴン州の「OBONソサエティ」というNPO団体あります。

日本からアメリカへ帰ってきた翌月6月に、OBONソサエティ代表の敬子さんとお話しさせて頂く機会があり、この活動はご自身の経験を元にご主人と立ち上げられ、どのような思いがあり、活動を通しての気づき、これからの活動など話して下さいました。

また話の中から伝わる敬子さんの明るく優しい人柄。それと同時に、一人でも多くのご家族の方に遺霊品を返還して、旗を通しての家族の繋がりや生きた証をお返ししたいという気持ちも伝わってきました。

はの
こちらの動画には、そんな敬子さんの人柄や思いが詰まっていますので、この活動にご興味のある方は、ゆっくりとご覧ください。(約1時間の動画です)

今の私にできる事は、こうして発信で伝えるしかできないと思い、ご紹介させて頂きました。その他、詳しい情報は以下のサイトをご覧ください。

OBON SOCIETY
Website: https://obonsociety.org/jpn
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